【幼少期〜社会人】自分の人生を振り返る【自己紹介】

日常
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こんにちは、tdkです。

自分の人となりとかを知ってもらうために、詳細のプロフィールとか必要かなーとか思ってました。

いやーでもブログ始めてまだ20日も経ってないし、コンテンツも未熟だし数も少ないのにそんなことを書くのもおこがましいですし、誰も興味ないだろうしなーとか思ってたんですね。

要約するとめんどくせぇってことです。ひたすらにめんどくせぇ。

 

んで。ふとですね。

今の会社に入社した3年前くらいに、自己紹介文を書いたことを思い出したんですよ。会社で毎月ごとに社内報を発行していて、そこに掲載するための記事でした。

 

あーこれブログの詳細プロフィールにちょうどいいわーって思ったのが5分前。

なので、当時の文面をそのままベタ貼りします。手抜きじゃないんです。これがベストだと判断したんです。信じて。

一応、個人が特定される範囲は手直しして、ブログ的に読みやすいように調整はしてます。

 

それでは、どうぞ〜。

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自分の人生を振り返る

父の存在と、何でも悩みすぎな僕

〜〜〜はじめに出身地とか、名前の由来とか、僕が男3人兄弟の末っ子とかの説明がありました〜〜〜

 

僕が生まれた時に両親は離婚し、兄弟3人とも父親方に引き取られ、父、祖父母と一緒に住んでました。なので僕は母親の顔は全く知りません。写真も見たことないです。兄は知っているようですが。

日中は父が仕事に出ているので祖父母に預けられ、祖父が医院をやっていたので、スタッフさんや患者さんに遊んでもらいながら1日を過ごし、祖父母と一緒に就寝。夜中に父が帰ってきて、祖父母の寝室の僕を抱き抱え、父の寝室に移って一緒に就寝。

父に抱き抱えられて揺さぶられてる感覚と、部屋を移った時の天井の蛍光灯がいやに眩しかったことを覚えてます。そして朝、また祖父母に預けて父は仕事へ。なんて毎日でした。

仕事をしながら家事もする父の背中をずっと見ていたので、僕にとっては父であり、母でもあるような感覚でした。いつも忙しそう、大変そうだったので抵抗なく家事とかも手伝ってましたね。反抗期とかもまっったくなかったです。

 

小さい頃の僕は異常に人目を気にする、どうでもいい小さなことを考え込むタイプでした。例えば「勝手口のドアが開いてた」のを見て、閉めていいのか、開けっ放しでいいのか、本気で悩んでいました。今思うと病的ですね。

こんな僕なので、毎日生きるのがとっても大変でした。そんな状態を見かねてか、父が言ってくれた言葉が、今でも僕の決断基準の一つになっています。

「tdk、ドアが開いてようが閉まってようがどっちでもいいやないか。死ぬことはないんやけ

聞いた瞬間に心がフッと軽くなった感覚を覚えてます。そーだよ死ぬわけじゃないじゃん!てな感じで、楽観的・ポジティブ的思考にスイッチが入った瞬間でした。

それからの僕は、決断の基準を「死ぬかどうか」で考えてから行動するようになりました。

そうはいっても平和な日本。そうそうと死に繋がる選択なんてないので、結果的に何でも迷わずサクッと考えることができたんですね。大げさかもしれませんが、この考え方にならなかったら悩みすぎて死んでたかもしれません。マジで。

割と順風満帆な学生生活

小学校に入り、何でもサクサク行動するようになって、友人に恵まれ、先生にも恵まれ、割と順風満帆な生活を送ってました。描いた絵がコンクールに入賞したり、書いた詩が全国発行の詩集に載ったりもしました。この頃の右脳的感性はどこに行っちゃったんでしょうね・・・。

中学校は、窓から机が降ったりバイクが廊下を走ってたりするエキサイトな環境でしたが、生徒会副会長もやったりなんかして悪い人とも仲良くしながら楽しく過ごしました。しかし1年の頃は何度かカツアゲに遭いそうになって全力ダッシュで逃げ帰ったりしました。危機察知能力を鍛えられましたね。感謝です。

高校はちょっと女子が多い学校で、1クラス男子10人、女子30人なんてざらでした。少々肩身が狭かったですが、その分男子陣の結束は強まり、馬鹿やりながら青春を謳歌してました。
高校3年の文化祭では女子主導でミュージカルをすることになり、踊れないのに主役でダンスさせられたり色々やらされました。楽しかったですね。結果最優秀賞をとれ、なんか皆泣いてましたね。僕はやったーって感じでした。

大学では大学祭実行委員会という要は学祭の運営団体?に所属し、140人の大所帯の中でサークル活動に精を出してました。とは言ってもなかなかハードで、学祭に近くなると深夜まで毎日作業したりと、これ完全にサークルの域超えてんだろ感がすごかったです。その分学祭が終わった時の達成感もひとしおで、皆の前で号泣したりしてましたね。いや~青春ですな。

こういったイベント運営とか、段取り手配とかは今の仕事にも繋がるところはあるかなーなんて思います。

と同時にバンドサークルにも入ってたので、学祭にバンドにいろいろやってました。割と激しめのバンドで、卒業ライブでギターぶっ壊しパフォーマンスをやって伝説入りもできました。ですがメインの高いギターではなく、わざわざ安いギターを用意して壊しました。全然ロックじゃないです。こんなところに僕の小物感がでていますね。

バイトを始める

学祭やったり、バンドやったりの大学生活でしたが、バイトもやってました。

お酒も飲めるようになり、種類や飲み方に興味が出て来た僕は、自然と「バーテンダー」をやってみたい、という風に考えてました。とは言っても、なんかカッコよさげじゃん?モテそうじゃん?的な下心満載でしたが。完全にただの調子のった大学生ですね。

しかしバーというのはなかなか求人が表に出てこず、人づてのみで採用してるとこばっかりだったんですね。つてがない僕はそれでもモテたかったので諦めきれず、色んなバーを回っては「ここで雇ってください!もしくは募集してるバーを紹介してくだい!」とお願いしてました。何なんですかね、このモテたい執念。

数珠つなぎの結果、縁があるところを紹介してもらうことになり、とあるバーで働かせてもらうことになったんですね。20歳の時だったかな。ここで働くことは、僕の人生の大きな転機の一つでした。

怒られまくりのバイトの日々

そんなこんなで働くことに。学生ながらスーツに身を包み、華やかな内装の中で楽しく仕事ができるかと思ってましたが、実情は全然違いました。

もうね、毎日怒られまくり。
所作、接客、トーク、気配り、目配り、盛り付け等々など。。。

割と単価が高いお店だったので、お客さんも医者とか、社長とか比較的富裕層な方が多かったんですね。だから失礼がないようにと、バイトながらもマスターからはかなーり厳しく躾られました。

おまけに新人の僕をイジって笑いをとる、という定型パターンが出来上がってしまったため、ありとあらゆる形でイジられ、無茶振りされ、小馬鹿にされる日々でした。とにかく徹底的にお客様の前で恥をかかされる、ということをされてましたね。

今思うと、調子乗った大学生の鼻っ柱を叩き折ってやろうと、このままじゃ社会で通用しないぞというマスターからの愛情だったのかなと思います。いやそう思いたい。

そうはいっても、当時は割と学生生活の方がうまくいっていた分、バイト中の自分との落差が激し過ぎて、何度も何度も辞めたくもなりました。

でもその度に、なにくそ!と。ここで逃げたら男がすたる!今日こそハゲマスター(※マスターは少々頭皮が寂しい感じの方でした)を逆に喰ってやる!と思いながらバイトに臨んでました。結局毎度コテンパンにされてましたが・・・。

マスターはいつもだいたい0時くらいからお酒を飲み出し、クローズの3時にはへべれけになります。そこから今日の反省会という名のお説教が始まり、お酒も入ってるせいでメタメタに怒られる、というのがお決まりでした。

しかし僕もその頃にはお酒が入ってるので次第に言い合いになり、ギャーギャー喧嘩しながら朝を迎え、一緒に朝ご飯を食べて帰る、までもお決まりでした。何だか不思議な関係ですね。

 

マスターが良く言う言葉で、印象的なものがありました。

『俺たちはアクター(俳優)で、カウンターは舞台だ。お客様が最大限に楽しんでもらえるように演技をしろ。そこにつまらないポリシーやプライドはいらない』

マスター独自のサービス論だと思うのですが、なるほどなぁと。こう考えると、どんなことでも恥ずかしいなんて思わないなぁと。演技というと言い過ぎかもしれないですが、何にでも通ずる考えだろうし、なんとなく今でも心に留まってます。

 

あ、あとぜんっぜんモテませんでした。
ていうか女性のお客さんが基本来なかったんですね。来ても同伴の夜の業界の方ばっかりで。結果的におじさんにばかり可愛がられる構図が自ずと出来てました。無念です。

でも、学生ながら色んな仕事の話とか聞けたし、色んな業界の方と知り合いになれたのでとても勉強になりました。今の会社にいるのも、すっごく元をたどればバーの常連さんからの紹介紹介・・・で繋がってきた結果なんですよ。そういう意味でも、ここで働けたことは良かったですし、転機でしたね。3年ぐらいバイトしました。

初就職した会社で、入社3ヶ月で強制的に売上1位に

これまたバーの常連さんからの繋がり繋がり・・・で、大学を卒業して広告代理店に就職しました。何となく広告やってみたかったし、何となく営業がしてみたかったもので。

右も左も分からないので、最初はフリーペーパーの広告枠の営業をやってました。それをやりつつ、ぼちぼち広告全体の勉強をしていこうと。

それでポツポツと受注も頂けるようになってきた3ヶ月目のある日のこと、僕の隣のデスクにいたベテランさんが突然辞めると発表しまして。ほんとに突然でした。

そのベテランさんは大型クライアントを何社ももっており、社内売上がいつも1位の人でした。

その膨大な業務を誰が引き継ぐか・・・、うーんtdkでいいんじゃない?、じゃあtdkにしようということに何故かなりまして。洪水のように未経験の仕事が舞い込んできました。

TVCM、ラジオCM、新聞広告、チラシ、イベントなどなど。バタバタで引継の挨拶をし、鼻血を出しながら仕事をしてた覚えがあります。仕事のトラブルが起こる夢をよく見てました。

こうして、入社3ヶ月にして売上が社内でトップになってしまうという状態になったわけです。引継の恩恵ですね。当時は目の前の仕事をこなすことに必死でしたが、新人ながら色んな仕事に関われたのでとってもラッキーだったと思います。良い経験ですね。

宴会隊長としての側面

当時の会社は接待が割とある会社で、営業部の皆とお客さんと一緒に居酒屋行ったりスナック行ったりなんてことがよくありました。

新人なので気配りやら盛り上げやらあれこれしないといけないのですが、そこはバイトで培った経験をフル稼働。カラオケは予めお客さんの年齢層のヒット曲を調べた上でお客さんの十八番と被らない選曲をチョイスしてこっそり練習して臨んだりとかしてました。

結果、50代のヒット曲とかにすっごく詳しくなりました。こーゆーのは営業マンとしては割とあるあるですかね。でもお陰でものっそい気に入られることが多く、社内では宴会隊長の名を欲しいままにしていました。

僕には全然関係ない、経理と銀行の接待とかにも呼ばれてましたね。足りない腕は道具でカバーしようと、事前に100均で宴会グッズを買い込んで2次会予定のスナックに先回りして置かせてもらったりとかもしてました。こうするとスムーズなんですよね。

ポンポンを自作して、懐に忍ばせてたりしたこともありました。いや仕事しろよって話ですよね。まぁ仕事を潤滑にする一環ということで。

 

そういえばTV局の方と飲みの席がご一緒になることも多かったんですが、なかなか飲み方が激しくてまいりましたね。特に●●Bさんとか(※当時の話です)。店で●●Bさんの部長に裸にひん剥かれて、馬乗りにされてベルトでしばかれたりしてました(※当時の話です)。それを見た女性社員がマジ切れしたりして。何故か僕だけに。

そんなこんなで色々とピエロ役に回ってることが多かったですが、これまたマスターからの教えがしっかり染み込んでましたので、何とも無くへっちゃらでした。アクターですからね。お陰で更に気に入られたりして、バイトの経験がしっかりと役立ちました。

マスター、あの時はハゲとか言ってごめんなさい。感謝しています。

そして転職

そーゆーわけで3年弱ほど前の会社におりまして、その途中で今の会社の社長に出会いまして、そのお人柄、お考え、ご理念に感銘を受けまして、今の会社の一員になったというわけです。媚を売っているわけではありません。

余談ですが7/1から今の会社に入ったのですが、前日6/30の23時くらいまで前職で働いてました。印象に残ってますが、最後の最後の仕事は「業者さんへの値下げ交渉」でした。『僕今日で最後なんで!最後のお願い聞いてください!』と電話でゴリ押ししてました。

最後の仕事がそれかよって感じですが、それもまた僕らしい小物っぽさがあるのではないでしょうか。ちなみに、想いが通じたのか、値下げしてくれました。ありがとうございます…。

 

長々となりましたが、以上が僕の歴史です。
振り返ってみると、今の僕を形成してるポイントが意外とちゃんとあるものだな~と思います。

 

まとめ

…はい!
上記が、ベタ貼りした文章です。

割とまとまっていて、社内の皆からは好評だったんですがどうでしょうかね。

怒られる・モテない・しばかれる と卑屈な人生です。

 

というわけで自己紹介おわりっ!

こんな僕が運営してるブログ、『tdk.com』を今後ともよろしくお願いします。

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